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2016/10/01

増上寺末寺 蝦夷地善光寺 文化二年〜三年の歴史 

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有珠善光寺は、東京増上寺の末寺で
天長3年(826年)の開山と伝えられている
浄土宗のお寺です。

江戸時代の浄土宗は、増上寺を首座とする
十八檀林と呼ばれる修行の寺院があり、僧侶、
住職になるには、十八の檀林のいずれかで
修行僧として務めることが定められていた。

善光寺は
本山増上寺から、香衣檀林格という檀林に準じた
寺格が与えられた。
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文化元年(1804年)
徳川家斉公が蝦夷地内に三つの官寺を定める
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蝦夷三官寺は
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善光寺(浄土宗 増上寺)
(山越郡〜白老まで)
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等じゅ院(天台宗 寛永寺)
(勇払〜幌泉まで)
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国泰寺(臨済宗 金地院)
(十勝〜択捉まで)
の三寺院です。

文化二年(1806年)四月二日

初代住職に任命された 壮海が江戸を出立

記録によりますと江戸を出立してまもなく

長旅と心労から病となり、函館称名寺で

文化二年 五月五日 病没

遠く離れた江戸の地から、北国蝦夷地まで

壮絶な旅の末、初代の住職は、有珠の地に

足を踏み入れることが出来ずに亡くなる。

亡骸は、有珠善光寺に埋葬された。

文化二年十月十八日

増上寺で緊急の会議を行い後任の住職に

小石川伝通院 鸞洲を任命するが、

本人に固辞される。

文化二年十月二十二日

本山より、支度金50両が鸞洲に

与えられる。

前例にはならないとの一文があり

老母の扶養料としての措置であった。

鸞洲は任命を再三辞退するが、

要望は取り上げられなかった。

文化二年十一月四日

蝦夷地の地理・風俗に詳しい

近藤重蔵に、蝦夷地の事情について

教えを乞い、多くの事柄を学ぶ。

文化二年十一月十七日

増上寺に幕府寺社奉行脇坂中務大輔から

鸞洲への召出状が届く。

明日十八日五つ時 

大久保安芸守宅の内寄合へ

出頭せよ という内容。

文化二年十一月十八日

寺社奉行より、正式に鸞洲を善光寺の

住職に任命

文化二年十二月七日

鸞洲は「御暇登城 」後、国許の老母に

別れを告げるための許可を寺社奉行から

特別に与えられる。

文化三年四月二日

郷里で母と対面。体調が思わしくない

母を気遣い江戸への帰りが遅れる。

文化三年五月十四日

江戸を出立

文化三年六月十二日

函館 称名寺宿泊

文化三年六月二十日

有珠善光寺に到着。

官寺となって、初めての

住職となる。  

石割桜を植林したと伝えられている。

お詫び

まだまだ勉強不足で不明なことが多いため

随時加筆訂正させていただきます。

m(_ _)m


book 参考文献(敬称略)

蝦夷地善光寺目鑑・開設 第二巻
 蝦夷地善光寺住職機 
(解説 有珠善光寺十九世木立住職 木立副住職)
近世蝦夷地の仏教と寺院 
  有珠善光寺の住職交代について(高嶋 弘志)
 

お問い合わせは

~有珠の素晴らしさを広める活動~

有珠バカンス村プロジェクト事務局 まで

(足の休憩室内)

電話011-242-3002 

 

有珠WEB    http://www.e-usu.com

足の休憩室WEB http://bnfoot.websen.jp/

 

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