イザベラ・バード 日本紀行(日本奥地紀行 新訳本) 有珠での鋭い観察眼
長流(おさる)川
イザベラ・バードが、長和の町の川
長流(おさる)川を泳いで渡り
有珠を目指したのは、
明治11年9月3日ごろ
日付に関しては、紀行本にはっきり
記載されておりません。前後の日程
から推測した日にちのようです。
今までは、解説本を3冊読破しましたが
今回初めて、イザベラ・バードの著書
新訳の「日本紀行 (下)」を読みました。
(時岡敬子訳 講談社学術文庫)
有珠が登場するのが、最後の旅のため
下 だけ、を読んでおります。
増水のため、渡し船が流されたため
イザベラ・バードと案内人は
全身ずぶ濡れで、対岸に渡りました。
そのあと、急な坂を登ったところで
美しい有珠湾を眺めています。
(1年中美しい有珠湾)
イザベラ・バードは最初、美しい湖
だと、思ったようです。
見る角度によっては、大きく入り込んだ
湾は湖のように見えるかも
しれません。
有珠は夢のように美しく
平穏なところ
と、イザベラ・バードは書いています。
その静かな美しい入り江のある
有珠に着いたイザベラ・バードは
宿泊場所の有珠会所の斜め前にある
有珠善光寺を訪問しています。
9月の有珠善光寺
明治11年 当時の有珠善光寺は
参拝する人もいない静かな
寺院だったようです。
当時、有珠には
三戸の日本人と
九十九戸のアイヌ民族
が住んでいたと記述されています。
(ただし、数字は案内人の伊藤鶴吉の情報収集に
よるもので、正確な数字かどうかは不明です)
推測ですが、三世帯の日本人は
有珠会所と有珠善光寺と思われます。
アイヌ民族は、九十九世帯 500人と
記述されています。
有珠善光寺の鐘の音を聞き、
境内を散策し僧侶にも話しかけています。
当時のまま、残っている
手水鉢
当時は使われていた、手水鉢
今は境内に置かれたままになって
使われておりません。
千手観音のレリーフを見たと書いてありますが
こちらの観音さまと言われております。
有珠湾の美しさに心奪われた、イザベラ・バードは
これほど私を魅了にたところは
他にありません
という賛辞で有珠の書簡を締め括っています。
短時間の有珠滞在の間、素晴らしい天気に
恵まれ、それが有珠への印象をさらに
良きものにしたと思われます。
有珠の大多数の住人のアイヌ民族に対して
とても鋭い観察を記述しています。
他の地域のアイヌ民族と違い
お酒を浴びるほど際限なく飲む習慣が
ないこと。
肌の色が黒く、体毛が濃い人が多いこと。
スペイン南部の人のようだ
と書いています。
色黒で、やさしいまなざしはヨーロッパ的
だ、と。
アイヌ民族は、彫りが深い顔立ちで、
有珠で生まれた我が母が言うには
エリザベス・テイラーのような
絶世の美女が有珠にいた!といって
おりました。
イザベラ・バードも、有珠のアイヌ民族が
他のアイヌ民族と違い
ヨーロッパ的な美しさと表現しています。
鋭い、です!
イザベラ・バードは有珠に1泊もしくは2泊
したあと、
後ろ髪を引かれる思いで、
(本人の記述より)
虻田(現洞爺湖町)へ向かいました。
138年前の出来ごとですが、
現在の有珠を訪れても、イザベラ・バード
の時代を感じることが出来ます!
有珠バカンス村プロジュエクトは、さらに
情報を収集し、イザベラ・バードの道を
順次ご紹介したいと思います。
お問い合わせは
~有珠の素晴らしさを広める活動~
有珠バカンス村プロジェクト事務局 まで
(足の休憩室内)
電話011-242-3002
有珠WEB http://www.e-usu.com
足の休憩室WEB http://bnfoot.websen.jp/
« 有珠の新鮮りんご メロン街道で販売中 | トップページ | 恒例 クリスマスコンサートのご案内 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 2024年の有珠バチラー夫妻記念堂でのクリスマスコンサート(2024.11.04)
- 北海道新聞の連載小説「札幌誕生」にバチラー八重子さんの物語は全国の地方紙でも読めます!(2024.04.14)
- 北海道新聞に連載の小説「札幌誕生」有珠・バチラー八重子さんの幼少期の生家の場所(2024.02.25)
- 癒しの遊歩道 (2023.09.11)
- 有珠おもしろクイズ(2022.08.23)
コメント